アメリカン・サイコ

やっぱりクリスチャン・ベールは良いなぁ。


「ビデオを返しに行く」
(パトリック・ベイトマンが立ち去る時に「どこへ行く?」と聞くとこう返す)


とか名刺比べとか、流行っても良いんじゃないかなぁ。
エリートは大変だなぁと。


「どこまでが妄想で、どこからが現実か、どのように調整しても整合性が取れない」とは思うけれども、主人公が狂人である以上、整合性は必要ないのではないか。
エリートビジネスマンが例えば完璧に普通の社会生活を送っていて、毎日夜1時間してる妄想の中の世界の話、と言えば通るし。


ポール・アレンは死んでないよね。
ポール・アレンがしばらく街を空ける」という情報を得て、「自分がポール・アレンを殺した」という妄想をしたんだろうという仮説。
この仮説だと、ポール・アレン視点だと、マーカムと偽ったベイトマンとの食事のシーンは本当にマーカムとディナーしてて、ベイトマンがアレンを殺すシーンは本当は普通にロンドンに旅立ってることになる。
ポール・アレンが帰還するとベイトマンの記憶は再度無意識に書き換えられて整合性が取れる。
「10日前にアレンと食事をした」という人も出てくるが、それは真実だろう。でもベイトマンの脳内の整合性にダメージを与えるから、精神的な安定性に悪影響を出している。
イトマンが名前を間違えられるシーンが強烈に描かれているのは、「自己同一性(言葉が良く分からないが)が否定される行為だから」だろう。


まぁ結論は、


ジーンかわいいよジーン。


(デニムとセットじゃないやつね)